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2012年1月

サロン・オアシス メルマガ第119号 1月17日に寄せて

あの日から、もう17年が過ぎました

あの日は寝苦しく、いつもより早く目覚め
何気なく付けたテレビには、一面火の海が・・・

とっさに『(実家のある)京都かも?!』と思い、
実家に電話すると、既に全く通じず、
神戸の映像とのアナウンスがテレビから流れました

仕事どころではない。実家に電話を掛け続け、
2時間ほどして家族の無事は確認できましたが、
それまでの京都では震度2すら珍しかったこともあり、

「家が左右に揺れて崩れそうやった。左側へつぶれると、
 お父ちゃんとお母ちゃんの部屋の上に落ちて、
 押しつぶすからもしれない。どうせなら右側へと思ったわ」

と、妹は泣いていました


当時の私は、会社で、ドルとユーロ円の調達をやっており、
モニターが4~5台あったので、様々なテレビ番組に
していると、普段は殆ど人が来ないディーリングルームへ、
いろいろな部署の人たちが入れ替わりでやって来ました

ニュースが流れる度、犠牲者の数が増えて行くことが、
現実とは捉えられないまま、一日を過ごしたあの日


その後も連日、ニュース報道はなされていましたが、
一か月もしないうちに、東京での報道は少なくなり、
まだインターネットが発達していなかったこともあり、
現地の状況を伺い知ることが出来ないまま、
2月13日、私は大阪へと出向きました

研究したいテーマがあり、あの年、
大阪大学大学院を受験しました 

論文テーマと願書を、阪神大震災の前日、
1月16日に発送し、試験は2月14日 

2月13日はギリギリまで働き、
最終の新幹線で大阪のホテルへ
あの日の驚きは今も忘れられません


大阪駅前にある、そのホテルの壁にはヒビが入っており
大阪駅周辺には、帰る家を無くした方々が野宿されていました

報道されていない現実を目の当たりにし、
それでは、いったい現地はどうなっているのだろうかと・・・


東京で報道されなくなって来たのは、少しは落ち着いたからだと
勝手に思い込み、翌日の試験が終わったら、神戸まで足を延ばして、
東京に戻ろうと考えていましたが、何の準備もなく、また、
状況を把握する努力すらしないまま、そこにいる自分が恥ずかしくなり、
最後の面接が終わると私は、直ぐに東京へと戻りました


その後のことは、正直よく分かりません
大学院も3年間籍だけ置きましたが、結局は仕事を選んだ為、
神戸を訪れたのは、それから5年以上経ってからのことでした

その後、
ご縁で『神戸元気村』の責任者だった方と知り合い、
数年間、ある活動を共にしながら、当時の話もよく伺いましたが、
それはもう、私の表現力では伝え切れないものでした

阪神大震災でも、東日本大震災でも、
今の私に日々できることは、ただ祈ることだけ

だから今日は、
17年前に旅立たれた魂たちへ、祈りを捧げました

サロン・オアシス イベント詳細情報
http://salon-oasis.cocolog-nifty.com

 

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