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大助花子ご夫妻☆ ~結婚するときにどんな人と一緒になるかやなくて、最期を誰と迎えるか~

2019年6月から休演が続いていた
夫婦漫才コンビ、宮川大助・花子が、
12月11日、大阪市内で会見を開き、

妻の宮川花子(65)が血液のがんの一種である
症候性多発性骨髄腫で闘病中であることを告白した。


2018年3月に腰痛を訴え、
奈良県内の病院で検査を受けると骨腫瘍の診断。

余命6カ月の可能性も指摘されていたが、
放射線治療を受け、病状は回復。

その後、今年1月に検査では数値が上がっており、
医師から大阪市内の病院を紹介されたが、
副作用などを恐れ、5カ月間通院しなかった。

そして、6月24日に胸から下が動かなくなり、
即入院。順調に回復し、この日会見を開いた。


花子は
「病院に入ったときから泣いたらあかんと思っていた。
 ここで泣くもんかと。NGK(なんばグランド花月)
 の舞台に立ったときに感謝の涙を流したい」と決意。

復帰、退院のメドは立っていない。


夫の宮川大助(70)は毎日お見舞いに訪れ、看病した。

「嫁はんがこういう病気ですと言われたときは
 辛かったですね。代わってやることもできないしね。
 僕、嫁はんが好きなんでね。
 今回余計好きになりましたね。
 女房に2度目の恋をするというけど、
 大助花子の人生劇場ですね。イッツ・ショータイム」
と涙ながらに話した。


花子も
「結婚するときにどんな人と一緒になるかやなくて、
 最期を誰と迎えるかと今回、本当に思いました。
 夫がいつも来てくれて、結婚してくれて、
 いつまでも変わらない愛情をくれたことで、
 私はいつお迎えが来ても幸せやなとすごい思いました」
と夫に感謝した。


20191211

==========
花子は1988年に胃がんのため体調を崩し、一時休養。
5年間は入退院を繰り返したが病気を克服して復帰した。

だが、18年3月に今度は腰痛を訴え、自宅近くの病院で
「転移性の骨腫瘍の疑い」と診断。

骨に転移していた場合は“余命半年”の可能性を指摘された。
奈良県立医大病院で精密検査し
「形質細胞腫瘍」と診断を受けた。

幸いにも余命半年ではないことが判明。
骨髄には病気がなく、骨の2カ所に腫瘍が見つかった。
仕事をしながら放射線治療を受け、
症状は経過観察で落ち着いていた。

ところが今年1月、検査で数値の異常が見つかり、
腫瘍が2カ所でなく広範囲に広がっており、
化学療法を勧められ、仕事の都合もあって
大阪市内の病院への転院を希望した。

花子が抗がん剤の副作用などへの不安など、
通院、治療へ踏ん切りがつかず、
その後5カ月間、治療せずに病気を放置してしまった。

下半身が麻痺し、左鎖骨などを骨折。
右の眼球が腫瘍のため飛び出してくる症状、
背中に褥瘡(じょくそう)という
いわゆる“床ずれ”ができるなど、危険な状態になった。

たまらず、6月24日に奈良医大病院の
天野逸人医師(58)に連絡。

「命にかかわるかという状況。深刻だった」
と天野医師は緊急入院までを明かした。

花子は翌25日からのNGKの舞台、
同29、30日の宮川大助・花子ファミリー劇場
「竜宮伝説」(YESTHEATER)を休演した。

同29日のNHK「バラエティー生活笑百科
には車イス姿で出演したが、げっそりした顔。
周囲から心配する声が挙がっていた。


検査では7カ所に腫瘍が見つかったが、
その後、化学療法が劇的に効き、
目の上のコブが消えるなど、全身CT検査の結果

「病気はすべて消えている状況となった。
 いい状態まで回復」と天野医師は説明。

ただ、2週間ほど下半身が動かない状態だったため
「神経が正常に戻るか予測できなかった」。

それでも治療開始から11日目に
奇跡的に左足の指が動きはじめ、
その後は筋力回復などのためにリハビリを続け、
両足を動かせるようにまで戻った。

天野医師は
「上半身は普通。病院でもトークはキレています。
 急激に治療法は進歩している。将来的に舞台の上で、
 大助・花子の漫才を見せてもらえるまで回復してもらいたい」
と笑わせた。

回復のメドが立ち、
「治療を受け、手術を受け、放射線治療を受けて、
 それでも生きているという証明をした。
 皆さんに諦めずに、1日でも命を
 大切に延ばしていけるように」

と花子は同じような病気で苦しむ人たちに
メッセージを送るため、
回復の途中ではあるが会見を開いた
これまでの経緯を説明した。毎日、病室へ見舞いに行った夫の大助(70)も、
07年の軽度の脳出血、さらに
17年には腰部脊柱管狭窄症など入退院を繰り返し、
同9月に舞台復帰した。

献身的な介護をしてくれた夫に対して、
花子は
「結婚する時に、どんな人と一緒になるかやなく、
 最後を誰と迎えるか。それを感じました。
 結婚して40何年間、
 変わらない愛情を注いでくれたことで。
 いつお迎えが来ても幸せやなと思った。
 また、好きになりました」
と感謝を口にし、涙をこらえていた。

大助は
「女房は伴侶。いつまでも元気であってほしい」
と涙ながらに話した。

今後は
「車イスに乗れるようになったら退院する」と花子。

「慌てず、焦らず、諦めず。NGKの舞台に立って、
 感謝の涙を流したい」と語った。


1976年に結婚し、79年にコンビ結成。
花子は88年に胃がんの手術を受け、一時休養している。

大助も2007年に脳出血を患い、
2017年にも腰部脊柱管狭窄
(ようぶせきちゅうかんきょうさく)症の手術を受けていた。

そして、同年、紫綬褒章受章を受章した。



  【ご参考】
「漫才があったから、
人に喜んでもらえる夫婦になれたんやと」
https://ameblo.jp/sakura-ke/entry-12556171919.html


故横山やすしさんの薫陶を受け、
常に“芸人とは”という強いプロ意識を持つ花子。

その自分がまだ完全復活には程遠い状態で登場し、
舞台ではないとはいえ、
ベストパフォーマンスではない姿を見せている。

そして、大きな病気の話ゆえ
当然と言えば当然なのだが、
しんみりした空気も作ってしまった。

花子が考える“芸人とは”からかけ離れた場が
生まれてしまったことへの忸怩たる思い。

2017年11月、二人に紫綬褒章が授与された。
受章会見の冒頭、

花子は
「こんなこと、今日、初めて言います。
 …漫才に誘ってくれて、ありがとうございます」
と大助を見つめた。

厳密に言うと

「こんなこと、今日、初めて…」あたりまで
花子が言った段階で、大助が“食い気味”に号泣。

すぐさま花子が
「言う前から泣いて、どうすんねん!!」
というツッコミを入れ、
会見場は大きな笑いに包まれた。

当時で結婚生活41年。
大助には、花子が今から話す内容が瞬時に分かったのだろう。
まさに以心伝心と言うべき瞬間で、とても感慨深い場面だった。

ただ、長く取材をしてきた者としては、また違う感慨もあった。
取材をする中、大助は何度も次のような話をしていた。

「漫才をせず、普通の夫婦でいたら、
 ウチは今まで一回もケンカせずにやってきたと思う。
 ケンカは全部、漫才から。
 僕が誘ったばかりにヨメさんには苦労をかけてきました

漫才を始めたのは結婚3年目。
お笑いへの夢があきらめきれなかった大助が
結婚に続き2回目の猛アタックをして、
花子を妻から相方にもした。
舞台上の姿からは想像もつかないが、
夫婦の主導権を握っているのは完全に大助。

コンビにおける頭脳も、完全に大助。
大助のスパルタ指導で、
夫婦漫才の第一人者になった。

しかし、その道中、
88年には花子が胃がん。
そして、07年には大助が脳出血という大病も患った。

話は前後するが、16年、
結婚40周年記念イベントを
大阪・なんばグランド花月で開催することになり、
そこに向けて拙連載用にインタビューした。

当時の取材メモを見返すと、
そこにはこの上なくストレートな花子の思いが表れていた。


「漫才をしていたからこそ、何回も離婚を考えました。
 漫才をしてなかったら、
 娘にももっと時間をかけてあげられたと思います。
 夫婦それぞれもっと健康にも気遣えたかもしれません。
 
 40周年記念のイベント日、(16年)4月9日になったんです。
 劇場(なんばグランド花月)の都合もあって
 この日になったんですけど“死(4)ぬまで苦(9)しむ”。
 ようできた話ですわ(笑)。

 ただね、40年かけて、
 少しずつ分かってきた気もするんです。
 漫才があったから、
 人に喜んでもらえる夫婦になれたんやと」

 

その言葉からの
「漫才に誘ってくれてありがとう」。
この言葉の重みは、こちらの胸にも深く突き刺さった。

過去、夫婦ともに大きな病気を経験してきただけに、
病気についても、大助は思いを度々語っていた。

「これまで僕が自分で『ようやった!』と思えるのは、
 たった一つです。胃がんはヨメさんに行ったけど、
 脳出血は僕が引き受けることができた。それだけです」

今回の会見、何回か涙を見せつつも、
いつも以上に明るく、コミカルに振る舞っていた大助。

幾度となく会見場には笑いが起こったが、
その度に、この言葉が頭をよぎり、
個人的には何とも言えぬ気持ちにもなった。

二人には誕生日に関するルールがある。
大助の誕生日には、大助の欲しいものではなく、
花子の欲しいものを大助が買う。
花子の喜ぶ姿が、大助にとって何よりのプレゼントなのだという。

大助の誕生日は10月3日。

来年のその頃には、もっと明るく、もっと強い笑顔で、
買い物に出かけている二人がいる。
かたく、そう信じている。

<<出典元>>https://news.yahoo.co.jp/byline/nakanishimasao/20191211-00154564/



  【ご参考】

宮川大助・花子伝説
「上方漫才大賞のとき、松本人志からかけられた言葉」
https://ameblo.jp/sakura-ke/entry-12500217657.html

<<出典元>>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191211-00000538-sanspo-ent
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191211-00000163-spnannex-ent

 

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